「隣の芝は青い」と「我が仏尊し」

「隣の芝は青い」と「我が仏尊し」

7月 23 2015 - 1,未分類記事
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隣の芝生は青い。=何でも他人のものはよく見えるという人間の競争心理を言ったこと。

我が仏尊し。(わがほとけとうとし)=自分の考えや馴染んでいること、自分が持っているものが、なによりも優れていると思い込むこと。

2015-07-22 18.18.37

クリームパン二つ

隣の芝生は青い。

ときどき「凄いわね。社長で、キャリアウーマンなのね!」と言われることがある。

これは、「仕事は?」と聞かれるから、「自分で会社をやっています。」というと、そう言われる。

ちなみに「一人社長で、独身です」と付け加えておくと、聞いて悪かったと思うのか、ちょっと余計に褒めてくれたりするので、必ずお伝えしている。

会社をやっているだけで、凄いと言ってくれるのは、だいたい専業主婦の方で、おそらくわりと早く結婚していて、仕事の大変さしか知らないからだ。

若くて、要領が悪くて、仕事って大変だという思いしか無い時期に、寿退社をしてしまっているから、仕事をし続けている人が凄くて賢くみえるだけなのだ。

もちろんそうはいっても美辞麗句も含まれているのは分かっている。

美辞麗句が半分以上っぽいから、真剣に伝える必要もないと実は思っているが、会社をやっていても少しも凄く無いし、サラリーマンが出来なかっただけで、キャリアウーマンでも無いし、私から見れば彼女たちの方がよっぽど羨ましいのである。

若く美しいときに結婚出産できて、既に子供は巣立ちつつあり、時間が出来て、第二の人生を考えられるし、習い事をしたり、学校に来たり、たっぷり時間があったり、しかも生活の心配や学費の心配をしなくても良いのだ。そんな良いことはないだろうと思う

これがまさに「隣の芝生は青い」ってことで、こういったことはよくある話だと思う。

我が仏尊し

ところが「隣の芝生は青い」の逆パターンがあって、「我が仏尊し」の場合、ポジティブなことであれば、まったく問題ない。どんなに自慢であっても、自分が幸せなのだから、とてもよいと思うし、私が迷惑を被ることも無いのだから。

迷惑なのは、「我が仏尊し」ネガティブバージョンである。

どういうことかと言うと、ある出来事を経験して私は悲しかったから、同じことを経験しているあなたも悲しいはず。とネガティブな共感を押しつけること。

例えば、

1,彼氏を病気で亡くした私は悲しい。同じように彼氏を亡くしたあなたも悲しい。

これは90%以上お互いの悲しさに共感しあえることがあるでしょう。

2,富士山で食べた美味しいクリームパンを二度と食べられないから私は悲しい。あなたも食べられないから同じように悲しいはず。

これに共感出来るのは半数以下ではないだろうか。クリームパンなんて何処でも売っているのだから。

この例と同じように、すべて自分と同じ気持ちであると、信じて疑わない人がたまにいる。

無自覚か故意か分からないが、自分のネガティブ発想に引き込もうとする人がいる。

一生懸命に受験勉強に励んでいる学生本人に対して、「一生懸命勉強しても、落ちたら悲しいよね。」って、

一生懸命楽しく、ご主人の夕食を作って待っていようとするのに、「もし帰って来なかったら悲しくない?」って言ってしまう人がいるからビックリしてしまう。

仮にそう思っていても、そんなことを考えてもいない他者にわざわざ言うことではないはずである。

もしかしたら、ネガティブなことを事前に考えておくことで、ショックを軽減する場合もあるかもしれないが、心配事のほとんどは実際には起こらないのである。

仮に心配が的中したとしても、猛勉強して少しは賢くなった。一生懸命料理を作って2品マスターできたとか、怒りを抑える訓練が出来たとか、長い目で見ればプラスになる場合がほとんどであるし、一生懸命やれば得ることも多いはずである。

ネガティブなことを考える前に、無駄な心配をする前に、損得勘定で物事を捉える前に、まずはやってみればいいのだ。

 

ちなみに私は、病気や怪我になって生活ができなくなると言う心配を減らしたかったので、生命保険にいっぱい入った。なぜ入ったかというと余裕があったからではなく、安心を買いたかったからである。

生命保険に入ったら、本当に安心が買えたし、心配していたことがアホらしくなった。おそらく私はもう病気も怪我もしないと思う。

――と思えるだけで、保険に入ったことはものすごくプラスに働いている。

結局、起きるかどうかなんて分からないことで心配をしている人は、心配を減らす努力をしていないから心配なのだ。

やる前から駄目だった時を思って損得勘定で考えるから、誰かのために努力をしようと思えないのだ。誰かのために尽くしたって、得をするのは尽くした本人なのだ。

尽くしたことがいつか巡り巡って戻ってくるなんて複雑なことではなくて、尽くした時点で、勉強になることもあるし、幸せな気持ちになれるのだから。

 

あとがき☆☆☆

富士山で食べたクリームパンの美味しさが忘れられず、6日間連続で色々な店のクリームパンを食べてみました。しかしあのクリームパンほど美味しい物は見つけられませんでした。

富士山で食べたから格別に美味しかったのだと、今日ようやく納得がいきました。

べつにクリームパン好きではありません。

そしてしばらくクリームパンはいりません。カスタードクリームもうんざりです。もう富士山のクリームパンが一生食べられなくても後悔はありません。

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