「信じると」という言葉の意味も利他と利己がある。

「信じると」という言葉の意味も利他と利己がある。

3月 2 2016 - 1,未分類記事
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「私はあなたを信じている」

このひと言でも、言葉を発した人の思惑によっていろんな意味を含んでいる。

大きく分けると二つあって、一つは相手のために信じる。二つ目は自分のために信じる。

これを言葉にするとこんな感じ。

一つ目の相手のために信じる方は、

「私はあなたが、自ら計画したことを成し遂げると信じているわ」。

と、相手を思いやって、相手を基準にして信じている。これならば言われたほとんどの人は嬉しいと思う。

 

二つ目の自分のために、相手を信じる方を言葉にすると、

「あなたが私を、ぜったいに裏切らないことを信じている」。

こちらは、私の本来得られるべき益を害さないで欲しいといった、利己的な思いがあるので、言われた方は素直に喜べるかはちょっとわからない。

 

実際には文章だけでは、どちらの意味を含んでいるかは掴めないが、直接伝えられると不思議とどちらを意味しているのかは、感じ取ることが出来る。

 

なぜこんな話をしたのかと言うと、

若いときは、恋愛相談なんかを受けると、安易に「大丈夫だよ彼を信じなよ」と言っていた。

利己的な考えを含んで友人に薦めていたのだ。なぜならば私自身も、男性は女性を幸せにしてくれる存在だと信じていたからだ。

これってもしかして時代の考え方かも知れない。

だって当たり前に「幸せにします」「幸せにしてください」ってプロポーズしていたのだから。

今となっては、プロポーズの言葉も変わっているのかも?

「一緒に幸せになりましょう」なんて。

私についても、どちらがどちらを幸せにするって考えは、もう無くなっていて。お互いに「自分自身を幸せにする」ことが、ひいては二人が幸せになることに繋がっていると思っている。(もちろん相手が喜ぶことをやっていると自分が幸せを感じる関係は最高だろう)。

 

だから恋愛相談を受けた場合は、最終的には「自分はどうしたいと思うのか?」と問いかけをしている。

35才も過ぎると、悩んでいる本人も、たいていの男女関係のことは想像がつくもので、答えも持っている、ただ決めかねているだけだ。

誰かに相談する意味は、決めるための知識を集めているだけである。

だから、どんなアドバイスをしても、そのアドバイスを結果的に受け入れてくれたとしても、すべてを決めているのはその本人なのだ。

 

ちなみに近年は、別れたほうが良い悪いなんてそんな大きな括りでは、もう言えなくなってきた。

なぜならば男女ともにたくさんの選択肢があるからだ。

一般的な常識としての、生きやすい選択の差はまだあると思うけれど、女性にとっての社会も常識もこの5年ほどでだいぶ変化したと思う。

例えば結婚していないのに、したくないのに子供が出来てしまった。だからといって一律に子供を産まないという選択にはならないと思う。

これはまだごく一部の限られた人達になってしまうかも知れないが、恵まれた職場環境で収入も高く、愛情を持って一緒に子育てをしてくれる「ベビーシッター」や「ナニー」が居れば(ナニー=乳母。住み込みで子供の面倒をみる、育児や教育の専門知識を持った女性)

もしくは実家が都心にあって両親と一緒に生活ができる環境であれば、実家の両親だってむしろ婿が居ないほうが嬉しいこともあるかも知れない。

実家が田舎であっても、在宅で仕事や収入が得られる環境を作れるのならば、それでもぜんぜん構わないかも知れない。

ただ男性が結婚はしたくないけれど、子供だけ産んで欲しい。それだけで良いなんてのは、まだ難しいかも知れない。女性にとっての出産リスクもまだあるので、そんなことを言ったら、人間としての資質を疑われるかも知れない。

ちなみに子供はいらないと言っていた男性も、子供を持つ限界が見えてくる50才ぐらいになると、強く子供を持ちたいと思うようになるらしい。

だから出産の限界年齢の危機を感じている女性と年上の男性の思惑(ご縁)は一致すると思うので、結婚するまでは早いかも知れない。

 

今日のありがとう☆☆☆

めぐちゃん、作戦会議楽しかったです。ありがとう。

広ちゃん、今日もありがとう。また来週。

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