ワクワクすることをやろうって言うけれど、ワクワクってどんなこと?

ワクワクすることをやろうって言うけれど、ワクワクってどんなこと?

9月 2 2017 - 自己啓発な感じ
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人間の心なかには「天才様」と「凡人様」、「愚人様」という神様が住んでいる。

 

三人の神様は同居していて、その人間の心のなかに芽生えてくる感情を栄養にして、成長する。

 

ところが、三人の神様の食べる感情の好みには、大きな違いがあって、

凡人様の好みは=実直、良習慣、堅実から芽生えてくる自信という感情の味が大好きで、そればかりを食べている。

愚人様の好みは=怠慢、悲観、否定から芽生えてくる劣等感という感情の味が大好きで、そればかりを食べている。

天才様の好みは=とても贅沢で、選り好みも天才的なので、人間が夢をみることから湧き出る、ワクワクという感情しか食べない。

 

だから天才様の生存率はとても低く、もはや絶滅危惧種に指定されているのです。

 

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最近私は、同じ目標を持っていても、人によって出る結果の違いを自ら体験した。

自分が普段から育てている感情の違いで、こんなにも差が出ることに驚いているとともに、それを体験できたことに感謝している。

おかげで感情の使い方が、少し理解できた。

 

成功の近道は、自分のワクワクすることを仕事にすることだなんていう。

私自身もどうせやるなら楽しんでやったほうが体にいいし、どうやったら楽しくなるだろうか?とやり方などを考える。

 

でも、天才的な友人のワクワクの発生から達成までを側で見させてもらい、私のワクワクと友人のワクワクの種類の違いを認識できた。

なので、ワクワクの感じる部分をちょっと意識することで、天才的なラッキーが訪れるのではないかと、思うようになった。

 

天才的なラッキーは天才的な思考から、やっぱり生まれている。

 

天才的なラッキーってどんなことかと説明すると、例えば、このブログを読んでくれたあなた。

 

想像してください。

あなたは、日本の平均的なサラリーマンの年収です。

一年後に宝くじを1億円を当てたいと思いました。

そして、あなたは本当に宝くじ1億円を当てることが、リアルに想像できてワクワクしました。

でもそのためには、半金の5千万円を先に投資しなければなりません。

 

どうでしょうか?

当たることが想像できて、ワクワクできたからって、五千万の投資をできますか?

お金の価値は人によって違いがあるので、10万でも100万でもいいし、1,000万でもいいです。

 

天才的なラッキーな人って、保証のない投資を保証されていると信じて行動ができてしまう。

私は目の前で見ていたので、友人の行動が信じられなかった。本当に冗談かと思った。でも一年後には見事に手に入れている。

 

実際は宝くじではなかったけれど、それ以上にあり得ないことだったし、しかも同時に複数のことも達成しているので、もう驚くばかりだった。

 

同じ努力をしても、結果を出す人と、逆に上手く行かない人もいるし、ごく希に天才的な結果を得られる人もいる。

この差はどうして出るのか?

 

私自身は、努力の中身にもよるけど嫌いじゃ無い。

努力はするべきだと思っているし、努力は裏切らないとも思うし、一番の理由は自分を信用できるようになるからだ。

 

努力を信じられると、例えば毎日ブログを書き続けているのだから、これがあと3年も続けられるならば、本の1冊や2冊は出版できる実力が備わっているだろうなと思えるし。

5時起きを続けて、人より多くの時間を働くので、1年後には仕事で良い結果が出るのも当たり前だと思っているし。

出版や仕事に直結しなくても、それなりの別な何かには繋がるだろうなと思える。

これは、仮に思いの通りになったとしても、誰もが認める努力をしているのだから、理論的に理解できる。

でも天才的なほうは理論的にはまったく理解できない。

 

で、私と友人のワクワクを感じる部分に違いを見つけた。

たぶんこれが努力の結果を大きく変えるんだと思う。

 

どちらもたぶんワクワクしている。でもワクワクしている部分が違う

私は、続けられている自分の行為に楽しみを見いだしている。

わりと職人さんなんかも、これなんではないかと思う。

自分のやっていることが成長して、楽しい。もっと上手くできるようになることを想像するとワクワクする。とか。

 

でも友人は、行為自体にはわりと、やりたくないことも多いので、そこにはまったくワクワクをしていない。

仕事などの行為にはワクワクしていないことも多いが、感情に対してワクワクをしている。

 

思い返せば、いつもそうだった。

友人は想像した中での楽しさとか喜びなどを感じ取って、ワクワクしたり喜んだり、感極まったりしていた。

そういう人たちを感性が豊かとも言う。

ワクワクの感情がそこに浮游していて、それを感じ取ってワクワクする感じ。

 

そのワクワクの部分が違うので、端から見たら同じ努力でも、見えない世界でのベクトルの働き方が違う。

この違いに気付いたときに、やっと自分がワクワクできることをやらないとダメだって意味が理解できた。

自分のワクワクできることを探さないとダメって、そこね!って。

 

編集後記

土曜日でも同じ365日のうちの一日なのだけど、なんだかぼーっと過ごしてしまう。

ウトウトしてしまうし。

明日はアクアスロン大会なのだけど、鼻風邪気味なので出るか悩むなぁ。

行くだけいって、水温が低かったら止めようかな?

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